誰かがいつの間にかやりだして、習慣、習俗になること - 相模原市 相模大野 整体

菅原治療院

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誰かがいつの間にかやりだして、習慣、習俗になること

今から23年も前の事になりますが、私の父が亡くなりました。

私の両方の祖母が亡くなった当時は、ほとんど土葬でありました。

それ以後、故郷での葬儀には、父が亡くなるまで出席したことがありません。

その後、いつからかは知らないのですが、故郷でも火葬が一般的になったようです。

東京の方での葬儀には何回も参列しましたが、こちらで行われていないことが、

秋田では行われていて、アレッと思ったことがあります。

  火葬する炉の前に、机が備えられており、焼香できるようになっています。

お水を供えるところがあるのですが、火葬の続いている間中、

ずっとその水を取り換えるのです。

すぐそばに水を汲むところがあり、汲んだ水を供えて、炉に向かって拝みます。

その水をすぐに捨てます。

またすぐに汲んで供えて拝み、また捨てるを、延々と繰り返すのです。

  なぜこんなことをするのかと聞いたところ、炉の中で焼かれる死者が、

少しでも熱くないようにと願って、何回も冷たい水に取り換えるということらしいです。

当然ながら、土葬をしていたころにはなかったことですが、同じ火葬をするところでも、

全国どこでもやっているわけではありませんから、

近年になって、火葬が始まってから誰かがやりだしたことでしょう。

それが今では、至極当然のごとく行われており、誰かが、

そんなものやる必要がないなどと言ったら、白い目で見られそうです。

  最近、「葬式はいらない」という内容の本と、「葬式は必要だ」という内容の

本が出て、かなり売れています。

私自身は、自分が死んだ時は葬式など一切なくても構わないのですが、

やはり永遠のお別れでありますから、それぞれの残った身内の本意に従った、

意味のある葬儀はやっても良いと思っていますが、

葬儀業者や生臭坊主の儲けのために、金のかかる、心のこもらない、

うわべだけの葬式なら、いっそやらなくても良いと思うのです。

人は必ず死にますから、どのような形式であれ、葬儀が全くゼロということは

あり得ないと思います。

たった一人で見送った場合でも、身内がなく役所の仕事で行われたものでも、

簡素でも、華美でも区別なく、何がしかはおこなわれるでしょう。

先ほどの、火葬の炉の前の、水を取り換えることのように、何の見栄もなく、

金もかからない、本然から湧き出た行いだけでも、立派な葬儀だと思うのです。

今日はなぜこのようなブログを書いたのかというと、葬儀の簡素化ということが、

だんだんと広まってきた半面、心のこもらない、ただただ金をかけただけの、

相変わらずの葬儀も多いことに、腹立たしい思いをしているからです。

皆さんのお考えを、お聞かせください。

追伸

なお、私が亡くなった時は、たとえ葬儀がおこなわれましても、ご供花、ご香典、ご供物など、

一切をお断り申し上げますので、悪しからずご了承くださいますように。

もし、どうしてもとのお志の方がいらっしゃいましたら、生前になら喜んで申し受けますので。

(最後の一行は、書かなければよかったなー。品を落としちゃった)bleah

健康法師菅原の徒然草「納得ブログ」

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